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16 :名無しの心子知らず:2007/10/11(木) 01:11:08 ID:zoJ6UsS7

私が4歳の時、父と母は離婚した。
祖父母と同居していたため父が私を引き取った。
母は家を出て行く日に私を実家に連れて行った。
家に戻ると母はドアの所で「おばあちゃんちに又行かなきゃいけないの」そう言った。
「いつ帰ってくるの?」と聞くと困った顔をして少し黙り「日曜日かな?」と答えた。

疑いもせずに私は笑顔で手を振って送り出した。日曜日がいつかも知らなかった。
それから私は祖母に日曜日がいつかを聞いては、玄関で待つ日々が続いた。

何回か繰り返したある日、母以外の家族全員が揃う夕食の時間に私は聞いてみた。
「あのね、ママが帰ってくる日曜日っていつだか知ってる?」
食卓が凍り付いた。それまでの笑顔が全く消えてみなが押し黙って目を伏せた。
「私、うっかり聞くのを忘れちゃったのよー」と笑いかけたが、誰1人笑ってはくれなかった。

それ以来、私はママの話しは絶対にしないようにして・・もう30年が経つ。
結婚式にも呼ぼうとはしなかった。今では1歳の娘と5歳の息子がいる。
先日、5歳の息子が
「ねぇ、妹と僕を産んだのはお母さんだよね?」と聞いてきた。

「パパを産んだのはばぁばだよね?」「ママを産んだのは誰?」
「おばあちゃんよ、でもどこにいるかわかんないから会えないのよ」
「僕会いたいなぁ」
「どうして?」
そこまでは平気な受け答えだった。

「ママを産んでくれてありがとうって言わなきゃ!」
(うん、会いたいねぇ)と言うはずだったのに涙が止らなくなってしまった。
ずっとずっと封印してきた言葉。
育てられないなら産まなきゃいいのにって思ったこともあった。
ありがとう息子。私はやっと素直になれそうだ。


スザンヌに「いい話を語ってください」ということで
彼女が話した いいハナシーサーとは・・・・


>>>>>>>>>>>>>>>

昔ですね、私がやんちゃだった時、そのときは未成年だったときなんですけどね。
お家を無断で抜け出しちゃって連絡をとらなかったんです。まあ家出ですよね。
その時にずっと連絡をとってないから、すっごいお母さん達が心配していて。

で私、高校を途中でやめちゃったんですよ。高校時代は友達が一番大事だった
りして、だからその友達とかと離れるのはすごく嫌だなと思って。
携帯の電源切っていたんですよ。ずっと。電話かかってきちゃうと見つかっちゃう
なと思って。心配してるなとは思っていたんですけど。

でも妹には連絡はとっていて、今こうしているから心配しないでって言っていて
お母さんには怒られちゃうから、絶対言わないでねって伝えていたんです。
妹は妹でお母さんは凄く心配してるし、お姉ちゃんには言わないでって
言われちゃうし、悲しい気持ちになりながら我慢して言わないでくれていたと
思うんです。

それで2週間ぐらい経ったときに妹が、もう本当にいいかげんに
連絡とらないとお母さんが心配して体調悪くなっちゃってるから、電話して
あげてって言われて、あぁもうほんとに電話しなくちゃいけないなって思って
携帯に電源を入れたら、たくさんお母さんからメールが入ってて。

「今、家でご飯を食べています」
「今日はカレーです」
「女子校生の姿を見てあなたを思い出して胸が痛くなります」
「早く元気な姿を見たいです」
とか、 ・・・この話すると涙が出てくるんですけど・・

そういうことが沢山入っていて、ほんとに心配してくれていたのに悪いなって
思って、それで連絡をしたんですね。

凄い怒られる、どうしようかって思っていたんですけど
すっごい優しい声で
「心配したんだよ」
って言われて、その日会うことになって深夜1時ぐらいに来てくれて
夜ファミリーレストランで
「ごめんね」って言えたんです。

妹も、心配だったり、お母さんに言えないで辛かったりで
会った瞬間泣いて。
私が「ゴメンね」って言ったら
「全然いいよ」って許してくれたんです。

当時、迷惑をかけてしまって
お母さん達がどれほど自分のことを考えてくれているのかが
分ったんです。

これが私のいい話しーさーです。
以上です

>>>>>>>>>>>>>>>

テレビ朝日5.23 いいはなシーサーより


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2 このボカシは技法か?
3 バストは…
5 確かに良い作品。世に数多いる隠れスザンヌファンは是非とも購入を!
5 スザンヌざんす!!!
5 大正解!!
17 VIPがお送りします 2008/02/23(土) 22:08:33.28 ID:NmMNUqAo0

ある日、叔母の家に一本の電話がかかってきた。

「こちら警察のものですが、お宅の息子さんが事故を起して通行人に怪我をさせてしまいまして、被害者の方から示談で良いとのことで、至急こちらの口座に振り込んでいただきたいのです。ただいま、息子さんに代わりますね・・・」

叔母はすぐにそれが最近流行っているオレオレ詐欺だということに気が付いた。
なぜなら、彼女の息子は5年前に事故で亡くなっていたからだ。

「母さん、俺だよ、事故起しちゃってさぁ、大変だよ。すぐに示談金振り込んでくれよ」

叔母はその声を聞いてハッとした。
死んだ息子の声とそっくりだったからだ。

まるで死んだ息子が蘇り、そこにいるような気がした。
叔母は電話を切ることが出来ず、
しばらく息子にそっくりなその電話の声に聞き入っていた。
そして再び警察官と名乗る男に代わった。

「そういうわけなので、どうかお母さん、示談金、お願いしますね・・・」
再び息子と名乗る男に代わった。

「母さん、ゴメンよ、助けてくれ」

叔母は現実に戻り、やっとのことで真実を話した。
「あのね、私の息子は5年前に死んでるの」

電話の声がパタリと止まった。
気まずい空気が流れた。

しばしの沈黙の後、
電話が切られようとした、そのとき、

「ちょっと待って、あなたの声、息子とそっくりなの。
 電話切る前に、もう一言だけ、声を聞かせてもらえないかしら。」
しばらくして、電話の主はこう言い、電話を切った。


「母さん」




456 :名無しさん@120分待ち:2008/05/09(金) 14:05:41 ID:THa1UXxx
TDRで…というのではないのですが

妹が八歳の時、夏休みにディズニーに行く計画が立てられました。
でも妹は直前の検査で入院が決まってしまい計画は白紙に。
元々妹は入退院を繰り返していた為家族はすぐに諦めがついたのだけど
妹にとっては初めての家族旅行ということもあり中々立直れず
大分ふさぎ込んでしまっていました。
そんな中ある日絵ハガキが一通自宅に届きました。
それは私宛てで差出人の名前はなく一言だけ
「いつかきっとミッキーに会えるよ」
というような事が書いてありました。
私は残念ながら妹とは正反対の現実的な子供だったので
絵葉書はとりあえず意味が分からんとスルーしました。
が、その日の夜妹の病室に行くと妹も同じ絵葉書を持っていて
正にベッドの上を跳びはねる位の勢いで喜びまくっていました。
聞くと妹はミッキーがハガキをくれたのだと思い込んでいました。
だって消印がディズニーランドだ!と言われ初めて私もそれに気が付きました。
当時私達が住んでいたのはディズニーに日帰りでは行けない地方の田舎です。
差出人に思い当たる人物はいませんでした。
不審に思いながらも妹のあまりの喜びように押され
私もハガキはミッキーがくれたのだと少しだけ信じました。


457 :名無しさん@120分待ち:2008/05/09(金) 14:07:20 ID:THa1UXxx
あれは当時新米だったある看護師さん達がくれたのだと
あれから十数年経ったつい最近に知りました。
なんでも出身の学校がディズニー近くらしく妹のふさぎ込む様子に
お友達と連絡を取り合って送ってくれたそうです。
妹はその後元気になったらミッキーに会える、と明るく療養生活を送れました。
また私も妹病気で両親妹にかかりっきりな中で
毎日しっかりしなきゃ大人にならなきゃと思っていたのですが
しばらく子供らしいいい夢を見させてもらいました。
あの時の新米看護師さん達、本当にありがとうございました。
来月初めて家族でディズニーに行きます。
懐かしい想い出としてうっかり口を滑らせた母は慌てていましたが
私は謎がとけると同時に心底感謝しました。
妹にはこの先も差出人の正体は言いません
私にまで気遣ってくれた看護師さん達
今更だけど本当にありがとうございました


ディズニー接客の秘密
ある日、まる子は仲良しのたまちゃんとタイムカプセルを作ることになり、
まる子の家でそれぞれの20年後に手紙を書きました。
まる子は、たまちゃんに、たまちゃんはまる子の将来に宛てて
手紙を書いたのです。

それを次の日「一緒に埋めに行こう」と約束してその日は別れました。

そして次の日寒さの中独り、待ち合わせ場所でまる子は待ちます。
しかし、いつになってもたまちゃんは来ません。
日も暮れてきました。
もう帰らないといけない時間です。
まる子はたまちゃんに裏切られた気持ちでいっぱいになりました。
まる子はタイムカプセルを投げ捨ててしまいます。

次の日、学校で会った二人。
たまちゃんは、
「お母さんから留守番を頼まれて家から出られなかったの」
と約束の場所に行けなかった理由を話し、
「本当に本当に、ごめんね」と謝ります。

しかし、まる子は
「3時間も寒い中待ってたんだよ!
留守番なら鍵を閉めて来れたじゃない!」
とたまちゃんを責めて許しませんでした。

その日、家に帰ったまる子はお母さんに、お鍋の番を任されます。
待ってる間、まる子は、たまちゃんのことを考えます。
「たまちゃんもこうやってどうしても家から出られないような、
留守番を任されていたのかなあ」

そう思って捨ててしまったタイムカプセルをもう一度探しに行きます。
でも探しても探しても見つかりません。

その時、
「まるちゃん...」

たまちゃんが立っていました。
たまちゃんも、ピアノの教室へ向かう途中、
「まるちゃんはこんな寒い中でも私が来るのを待ってたんだ、
まるちゃんは一人で寒かっただろうな、心細かっただろうな」
と思って約束の場所にきていたのでした。

二人向かい合って泣きながら
「ごめんね、たまちゃん」
「ごめんね、まるちゃん」
抱き合いながら泣きました。

タイムカプセルはまた作り直すことにしました。
また同じように20年後のお互いに宛てて、

まる子は『たまちゃんへ  たまちゃん 大好き』
たまちゃんは『まるちゃんへ まるちゃん 大好き』

そう書いて穴に埋めたのでした。



劇場用映画 ちびまる子ちゃん
ポニーキャニオン (2001-10-17)
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おすすめ度の平均: 4.0
1 残念
5 小学生の頃の純粋な気持ち
5 男の友情っていいな。
5 見どころ

573 :癒されたい名無しさん:2008/04/18(金) 00:35:11 ID:Mx9Xqtzz

私の通っていた小学校は校区が広く、住んでいる地区によって
中学校区が異なるところでした。
私と親友M子も 小学校は同じところに通いましたが、卒業後は
別々の中学に進学することになっていました。

私の進学する中学は卒業旅行先がTDLで、TDLに行ったことがなく
ミニーが大好きだったM子は、当時からそれをとてもうらやましがっ
ていました。
あまりM子がそれをうらやましがるので、じゃあ私が卒業旅行に行っ
たら大きなミニー買ってきてあげると約束しました。

中学に進学してからも私とM子の関係は続き、1、2ヵ月に一度は
必ず会って遊んでいました。
けれど中2の冬に突然M子は帰らぬ人になりました。
インフルエンザの菌?がまねく病気だったそうです。
お葬式では久しぶりに会う懐かしい顔がたくさんいました。
その中でM子にさよならを言いました。

お葬式に出るのが初めてだった私はM子のお葬式だと言うのに
死人の顔を見るのが怖くてたまらず、通夜も葬儀の時もM子の顔を
直視できませんでした。それでも女友達5人でぎゅっと手をつないで
やっと勇気を出して顔を見て、さよならを言いました。

574 :癒されたい名無しさん:2008/04/18(金) 00:37:28 ID:Mx9Xqtzz
>>573続き

私は中学3年生になり卒業旅行先であるTDLに行きました。
クラスメイトの女子は皆違う小学校の子で、私の出身の小学校の子は
男子が3人、女子は私1人だけでした。TDL自体はとても楽しいところで、
すっかりはしゃいで楽しい時を過ごしました。

私はミニーのぬいぐるみを買うつもりでした。
死んだM子との約束を果たさないとなんて使命感にとらわれていたわけ
ではなく、ただM子におみやげを買おうくらいの軽い気持ちでした。

お土産はかさばるので最後に買おうと女の子同士決めていました。
集合時間を決めて皆バラバラとおみやげを買いに行きました。
そして私もおみやげを買いに行きました。

でも夜のTDLはふしぎなところですね。
暗闇の中を横切るパレードやシンデレラ城を見ながら、あんなに人が
たくさんいるのにまるで自分が世界中に一人のような気持ちになりました。
そんな不思議な感覚にとらわれながら、友達数人とおみやげを選びました。

そしてぬいぐるみ売場でミニーを選びました。
なぜかその時目の前が涙でいっぱいになりました。
バババババっと約束した時の小学生だったM子の顔がよみがえりました。

事情を知らない友達が私を心配してオロオロし、店内の好奇の目から
守るように私を慰めてくれました。
けれどその友達の中にM子を知る人はいません。
M子が死んだことも知りません。

泣きながら私は色々なミニーの中から、一番スタンダードなミニーの
赤い水玉のぬいぐるみを買いました。
泣いた理由を特に友達は深く聞きませんでした。
何事もなかったかのように普通に接してくれました。

人がいっぱいで疲れたんだよね、と特に仲良かったSちゃんとKちゃんが
外のベンチに私を座らせて買ったばかりのおみやげのクッキーまで
開けてくれました。 他の女子グループまで顔をのぞきこんで泣いた私の
心配をしてくれ、申し訳ないやら気恥ずかしいやらでも頭がぼーっとして
しばらく立てずにぐずぐずする鼻をすすりながらボーっとしていました。


575 :癒されたい名無しさん:2008/04/18(金) 00:40:17 ID:Mx9Xqtzz
>>574続き

そしてその後顔を真赤にした私は、バスの中で担任に体の不調を気遣われ、
夜は担任と養護学級の先生のところで寝ることになりました。
部屋で寝ようとしていた私に夜担任からディズニーの大きな袋を手渡されました。

なんのこっちゃと思い中を見るとお菓子の缶やらシールやらぬいぐるみやら
なんやら入っていました。担任の話では様子のおかしい私(一番前の担任の
横の座席で寝てた)はバスの中でクラスの噂になったらしく。

ミニーのぬいぐるみのくだりを誰かから聞いた同じ小学校だったSくんとNくんが
ミニー好きだったM子のことを思い出し、それで私が泣いたんだろうと察したんだ
そうです。

友達には仲の良い子へのプレゼントだと言ってあったので、その後ミニーとM子を
結びつけたのかもしれません。彼らはお葬式には来ていなかったはずで、M子とも
特別親しいわけじゃありませんでした。
でもちゃんと覚えていてくれたんですね。

それでM子を知っているSくんとNくんが自分のお土産の中からミニーの入っている
ものを探し、担任に私に渡しておいてほしいと頼んだのだそうです。
同じ小学校とはいえ普段交流のないSくんとNくんが私におみやげを渡すなんて
変に思ったんでしょうかね、なんでと担任は二人に聞いたそうです。

そしてその後ホテルでSくんとNくんから事情を聞いたクラスの子達が協力しあい
自分のお土産の中からミニーのグッズやミニーの入っているものを少しずつ出して
集めてくれたんだそうです。
ありがたいやらなんやらで夜号泣しました。

その後ミニーのシールやら個包装のクッキーやらやたらでっかいバルーンやら
耳やら大きな袋に入れて別の小学校に進学した友達と3人でM子の家に
お土産として持って行きました。

あまりに多いお土産に不審に思ったM子のお母さんにこの話をすると
おばさんはぽろぽろ泣いて、後日うちのクラスに担任あてにジュースの
差し入れをしてくれました。

あの日見ず知らずのM子のためにたくさんのミニーをくれた優しい中3NO
クラスメイト、ミニーが大好きだったM子。
今でもミニーを見ると思いだします。
TDLの夜の光のパレードと一緒に・・・


tdl.jpg



410 :1/2:2008/04/22(火) 10:06:26 ID:ygZEdVnt

もう20年くらい前かな?
まだ小学生だった頃、同じ年のいとこがいたんだけど、その子が脳腫瘍になったんだ。
それまで元気だったのに、どんどん病状が悪化して、5年くらい入退院を繰り返してた。
手術もしたんだけど、もう手に負えないらしくて・・・。
従兄弟のお母さん達も、もう何もできることが無いと、自分達を責めていて。
私も含めて従兄弟は6人いたのですが、家が近かったこともあって、
赤ちゃんの頃から大の仲良しでした。
そんな大好きな従兄弟が苦しんでいて、しかも末期でってことで・・・。
最後に思い出に残ること、従兄弟のしたいことを聞いてみようって、子供なりに考えて、
他の従兄弟と一緒に電話で聞いたんだ。(もちろん最後とは言わないよ)
そしたら、ディズニーランドに行きたいって。
そうか!確かにミッキーが大好きだった従兄弟。行きたいだろうな・・・。
でも病気が病気だし、駄目もとで親や叔父さん達に聞いてみた。
そしたら叔父さんは、最後になるかもしれないしとみんなで行こうと言った。



411 :2/2:2008/04/22(火) 10:12:42 ID:ygZEdVnt

新幹線にも乗らせてあげたかったけど、体調も悪いし、他のお客さんにも悪いからって
車4台で、従兄弟家族2組とうちの家族で行った。
もうあまりよく覚えていないんだけど、従兄弟は車椅子でランド内を動いたんだけど、
キャストさんも優しいし、何よりミッキーに会えて、ミッキーが車椅子を押してくれたんだ。
(少しだけ)それに従兄弟は感激してとても喜んでいた。
体調が激悪いのでそんなに長い時間はいられず、ランドの風景などを見ただけで
お昼過ぎには車で帰ることに。従兄弟は病院へ直行。
その後1ヵ月の間に病状が急変し、従兄弟は息を引き取った。
私達は、ランドに無理に連れて行ったせいかもとずっと落ち込んでました。
でも、その1ヶ月、明るい笑顔で「ミッキーが、ミッキーが」って話していたそうです。
病気で学校にも行けなくなって塞ぎ込んでいた従兄弟だったけど、
最後の1ヶ月は本当に明るくて、私達もそれが救いでした。
従兄弟の仏壇には、ミッキーと2ショットの写真が今でも置いてあります。
何周年のアニバーサリーとか聞くと、当時を思い出します。
ランドに連れて行ってよかったのか?今でも自問自答しているけれど、
でも、2ショットの写真は最高の笑顔。
ミッキーありがとう。


412 :名無しさん@120分待ち:2008/04/22(火) 10:16:43 ID:ygZEdVnt
長文で、しかも暗い話でごめんよorz


413 :名無しさん@120分待ち:2008/04/22(火) 14:13:20 ID:yun6JDOR
ないた


414:名無しさん@120分待ち:2008/04/22(火) 14:43:21 ID:mxLoFxP1
>>410-411
泣いた
従兄弟さんも浮かばれてる事でしょうね…


僅かな滞在でも感動を与えられるTDRって凄いな、と改めて思った


415 :名無しさん@120分待ち:2008/04/22(火) 14:45:20 ID:8598Hfrr
この話を読んで、
Disneyland is the Happiest Homecoming on Earth.
「ディズニーランドはこの地球上で最高に幸福な心の故郷」
という、ロスの50周年のスローガンを思い出した。

天国でウォルトが作ったディズニーランドできっと従兄弟君も
楽しく過ごしていることでしょう。


416 :名無しさん@120分待ち:2008/04/22(火) 14:50:15 ID:xXWPVDQh
>>410-412
全俺が泣いた
電車の中だってのに…(ノ∀`)